ハンディ語源英和辞典

著者:小川芳男
昭和36年有精堂出版

縦15cm、横8.5cm(文庫本の幅を2cm狭くした大きさ)、厚さ1.5cm。
本文691ページ。前書きと凡例、計10ページ。
収録語数は記されていないが、10,000語程度と思われる。

単語の意味・用法を語源に遡って解説している。ただし本辞典は「利用者の語彙を増やすこと」を目的としているため、語源説明が語の記憶に特段に資することがない場合は、これを省いている。
また同じ理由からだろう、例文はない。だから実際の英文の中で、その語がどのように使われるのか知ることはできない。
つまりこのポケット辞典は単語を語源によって暗記しようというもので、小型辞書というよりは単語帳に近い。

だが単語帳はただに暗記のためだけでなく、ちょっとした「字引」としても使えなくはない。度忘れした単語の意味を調べたり、綴りや発音を確認するときなど、中辞典を引っ張り出したり、電子辞書を起ち上げてキーを叩くより手軽だ。

そうやって使ってみると、この辞典はなかなか具合が良いのである。ナリこそ小さいが、語源解説は中辞典などでオマケのようについているそれより、よほど充実している。
というよりこの辞典の重心はむしろこちらにあり、最低限に削られた訳語部分は、語源のためのヒントに過ぎないといっても良い(かもしれない)

このことは、この辞典を暗記のための単語帳として使う場合にも有効といえる。訳語を羅列して、それを闇雲に覚えさせようとする単語帳とは一線を画する。

「学問の技法」橋本努/ちくま新書

多くの学生がレポートや論文の書き方がわからず、最終的にまとめ勉強程度の卒論を書いて、大学を卒業していく。その一方で、何も教えなくてもすぐに「学問」に取り組める学生がいる。これには生活資本の格差の影響が大きい。上流層は高い生活資本にともなって知的生活資本も高く、その子弟は自然に学びの姿勢と、学びの技法を身につけている。だが下層、中間層の子弟はそうではない。この本はそのような学びに悩まざるを得ない学生のために書かれた。

もとより技法が目的なのではない。技法は「はやく抜け出るべき段階」であり、すべての技法を無意識化して学問することが目標である。だが、すべての人に通用する技法があるわけではない。究極のところ各人はそれぞれ自分なりのやり方を会得しなければならない。先人たちの技法は言わば「社会資本」。それを共有することから一歩を踏み出してみよう、というのがこの本。大学で学ぶためのコツ(技法)が、事細かに書かれている。「大学生のための」という副題をつけるべき。

 

 

河盛好蔵「河岸の古本屋」

昭和30~40年代の文章集。過半、再読の価値あり。表題作を含む「パリ今昔」は言わばパリ小史にして、三読四読に価す。再読すべき章節に、鉛筆で印をつける。

書き込みや線引きは鉛筆にて。かつて三色ボールペンなるものが流行りおり、試してみるも、再読時に目障り甚だしく、ついには十数冊がゴミとなりたり。ビジネスや試験はともかくも、そもそも再読時の時間の節約などと、ケチ臭き考えを抱きたるが宜しからず。文学は言わずもがな、歴史や哲学、ときには科学書でさえ、文章と中身は不可分一体なり。速読などという言葉に惑うことなく、読むべきものは時間をかけて、何度でも読むべし。

庄野潤三の後書き、宜しからず。

J.P.マンシェット「愚者(あほ)が出てくる、城塞(おしろ)が見える」 

ディック・フランシスやギャビン・ライエルが好きではない。しょっちゅう出てくる〈気の利いた〉セリフがうるさくて仕方ない。特にギャビン・ライエルはほとんど毎ページのように出てくる(という印象がある)。〈気の利いた〉セリフというのは、例の「男はタフでなくては生きられない。優しくなくては生きる価値がない」(だっけ?)というたぐいだ。

ハイハイ、どうせあたしゃあタフにもマッチョにも縁のないひょうろくだまですよ。女のくさったやつですよ。ハイハイ、生きる価値のない虫けらですよ。

今度の仕事も簡単にかたづくはずだった。ターゲットはガキひとり。若いベビーシッターがついているが、面倒ならついでに殺っちまえばいい。だが精神病院から出たばかりの、このベビーシッターがヤバかった。 

登場人物はみな、タフではあるが、正義とは無縁の、優しくもない、したがって特に生きる価値もない男女ばかり。歯車が狂いはじめた物語はスラップスティックの様相を呈して疾走する。 

間抜けな手下に悩まされ、とんでもなくタフで狂ったベビーシッターに、逆に窮地に追い詰められていく、胃潰瘍持ちの殺し屋が何とも哀れで面白い。

初オークション

「古代の箴言」(仏語)に¥9260入札したが、落札できず。落札価格は¥16000。ろくに読めもしないのだが、箴言集なら仏文読解の演習に良いかと思ったのだ。そんなものペーパーバックでいくらでもありそうなものだが、それではモチベーションが上がらない。だがオークションが終わって落ち着いて考えてみたら、17世紀の本である。語彙も文法も今とは違うはずだ。すでにスエトニウスの「皇帝伝」で痛い目に遭っているではないか。また宝の持ち腐れになるところだった。